「ロマンの喪失」を巡って――『悲劇週間』『銀魂』

wakusei2nd2006-07-21


 世の中には「確実に価値があること」があって、自分はそれを探して生きている。自分が全力投球するのは、そんな「確実に価値のあること」だけで、それが何かわからない今は何もしないのだ――。
 滝本竜彦の『NHKにようこそ!』を引くまでもなく、90年代的厭世観(「引きこもり」的厭世観)は肥大したロマン主義の裏返しである。自分の実力を省みず「自分が生きる意味を見つけられないのは、世界がつまらないからだ」と責任転嫁する。何が真実か、何が善いことか、何が美しいか、世界の側が決めてくれないと彼等は何もできないのだ。もちろん、「つまらない」のは不平不満を口にするだけで何もできない彼等の方であって、世界の方は今でも十二分に「おもしろい」。自称ロマン主義者たちが世界のつまらなさを嘆くのは、彼らの多くが非日常的なロマンを求めるあまり、日常の中に存在する世界の魅力を嗅ぎ取る能力を欠いてしまっているからに他ならない。彼等(責任転嫁型)ロマン主義者たちは、皮肉にもロマン主義者であるが故に、世界のおもしろさ(たとえばそれを「ロマン」と呼んでもいい)を見失うのだ。

 矢作俊彦が昨2005年に上梓した『悲劇週間』は、そんなロマンの在り処を巡る物語だった。主人公は若き日の堀口大學。外交官の父と共にメキシコを訪れた彼はそこで、革命という歴史の1ページに遭遇する。だがそこで大學が遭遇するのは歴史が提供するロマンではない。むしろ、革命というドラマチックな歴史が終わりを告げてゆく瞬間であり、ロマンが喪われる瞬間なのだ。
 大學青年の周囲を取り巻く大人たちは明治(19世紀)という個人が歴史の当事者たり得た時代の住人である。しかし、二十歳の大學が生きる世界は昭和(20世紀)という時代に移り変わろうとしている世界だ――。ふたつの大戦に象徴される20世紀とは、歴史と個人(固有名)との関係を、大量死(無名性)の中に回収していった時代だった。そう、20世紀は誰も歴史の主役にはなり得ない=歴史という舞台の上では誰も固有名を保持できない=歴史が個人の生きる意味を与えてくれない世界に突入したのだ。これが言ってみれば「世界における(歴史に裏付けられた)ロマン喪失のメカニズム」といったところだろう。
 そして、大學が目撃するのは、そんな「革命の終焉=ロマン喪失の瞬間」なのだ。そして、そんな喪失の瞬間にしか発生することのないものを、徹底した美意識を通して照らし出したのが本作だと言える。ロマン喪失の瞬間に発生する甘美なものに、70年安保の「遅れてきた世代」に属する矢作俊彦はとりわけ敏感な作家なのだ。

 ロマンの喪失というテーマで考えたとき、私が思い浮かべる作品がもう一作ある。それは『週間少年ジャンプ』に連載中の少年マンガ空知英秋の『銀魂』だ。
 『銀魂』は随分と奇妙な漫画だ。舞台は幕末をベースにした架空の世界。アメリカではなく、異星人によって「開国」させられてしまった日本だ。主人公の銀時は、かつて「攘夷志士」として活躍しながらも異星人との戦いに敗れ、今は仲間たちと気ままに万屋なんでも屋)稼業を楽しんで生きている。かつての同志たちは、そんな銀時に非難を浴びせることもあるが、銀時はまったく動揺することもなく、物語は彼らの日常をコメディタッチでひたすら楽しく描いていく。
 たぶん、銀時は知っているのだ。この世界が既に、「歴史が個人の生を意味づけてくれる(ロマンを備給してくれる)」親切設計を喪ってしまっていることを。そう、銀時は異星人に敗北していじけているのではなく、世界のしくみが変わったことを悟っているのだ。けれど、決して銀時は「こんな世界はつまらない」といじけたりはせず、等身大の日常と、そこで精一杯生きる人々との関係の中に果敢に飛び込んでゆく。そこは「歴史」という華やかな舞台からは遠くにある場所だが、銀時の目は常に輝いている。そこで彼が見出しているものを、ロマンと呼ぶことにさして抵抗はないはずだ。再確認するまでもなく、かつて大學青年が体験したような「ロマンの喪失」は実のところ「ロマンの喪失」ではない。「世界(歴史)がロマンを与えてくれる装置」の喪失なのだ。たとえば銀時がそうであるように、あるいは日常だけが残されたこの世界にロマンを見出すことは、そう難しいことではないはずだ。そして、銀時は今日も日常を生き続ける。

 「こんな世の中はつまらない」という前に、一度点検してみるのも悪くないはずだ。つまらないのはロマンを喪った(かに見える)世界なのか、それとも(ロマンの在り処を嗅ぎ付けられない)自分自身なのか。

宇野常寛

 空知英秋銀魂』については“P2”本誌の座談会「少年ジャンプの過去・現在・未来(成馬01×青木摩周×岩瀬坪野)、及び惑星開発委員会オススメの30作品を徹底レビューした『PLANETS SELECTION 2006』にて詳しく取り上げています。ぜひご覧ください!