ご来場ありがとうございました

 C70にご来場いただき、『PLANETS Vol.2』をご購入いただいた皆様、誠にありがとうございました。
 お陰様で、イベント販売分は完売いたしました。
 なるべく早く通販用のストックをご購入いただけますよう、手配を進めさせていただきますので、買い逃された方はもうしばらくお待ちください。

PLANETS Vol.2 C70 8/13(日)ほ12a

wakusei2nd2006-08-13

PLANETS Vol.2 C70 8/13 西地区“ほ”12a
詳細はこちら

【INTERVIEW】
稲葉振一郎(社会倫理学者/明治学院大学教授)/鹿島田真希(作家/『六〇〇〇度の愛』『二匹』ほか) /木皿泉(脚本家/ドラマ『野ブタ。をプロデュース』『すいか』) /白倉伸一郎東映「平成仮面ライダー」シリーズプロデューサー)
【特集:ゼロ年代オタク文化地図】
竹田アニメの時代(全作品クロスレビュー、竹田アニメ座談会)/平成仮面ライダーの正義 (全作品クロスレビュー、平成仮面ライダー座談会)/ライトノベル編集者匿名座談会 /座談会「少年ジャンプの過去・現在・未来」 成馬01×青木摩周×岩瀬坪野 /対談「オタクの終焉 〜批評とノスタルジーの不毛を越えて」 更科修一郎×宇野常寛(善良な市民)
【企画ページ】
サブカル聖地巡礼/愛と青春の惑星開発フローチャート2006/「善良な市民と転叫院のトリエント公会議」特別編/PLANETS SELECTION 2006
【評論・コラム】
宇野常寛(善良な市民)/転叫院/faira/青木摩周/中川大地/成馬01/犬山秋彦/五周/菊池俊輔/葦原骸吉/くろばく/サナダ/松岡/ガルシアの首/南野一信/岩瀬坪野/かかし朝浩更科修一郎

PLANETS VOL.2 ついに明日発売!!!

 【 PLANETS VOL.2 発売のお知らせ 】

 明日8月13日、コミックマーケット70にて、ついにPLANETS VOL.2が発売されます!
 ブースには表紙モデルのかめちゃん(ぐしゃ人間)も来場予定!

 惑星開発委員会だからできるディープな記事が満載の一冊に仕上がっています!
 この機会にぜひお求めください。

 くわしくはこちらをご覧ください!

  PLANETS Vol.2
  C70 8/13 西地区“ほ”12a
  第二次惑星開発委員会

夏休み映画特集2006

wakusei2nd2006-08-10


 昨年に引き続き今年も「夏休み映画特集」を期間限定で行います!
 取り扱う作品もレビュアーもどんどん増えていく予定なのでよろしくお願いします!


 ゲド戦記
 http://movie2nd.exblog.jp/i11 (善良な市民、乙木一史


 時をかける少女
 http://movie2nd.exblog.jp/i12 (善良な市民)


 劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE
 http://movie2nd.exblog.jp/i13  (善良な市民)


 轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス
 http://movie2nd.exblog.jp/i14  (善良な市民)

宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』

聞き手(宇野)構成(faira)

 ねえ、眠くない?

――自分から「前回の続きを話さない?」と持ちかけて、そういう切り出し方をされても。

 まあ、そうだよねえ。
 それでは、話を始めるとしますね。ええと、今回はピテカン・トロプス・エレクトスとスネークマンショー周りについて、話しますか。

――うん。

 まず、言わなくちゃいけないことは、スネークマンショーに対して、僕は余り思い入れが無いと言うことですね。何故だか印象に残ってないんです。今回「PLANETS Vol.2」でインタビューしたなかでは、稲葉振一郎さんが、現在あるコメディのスタイルを基礎付けたものとして評価してたと思うんですが、僕自身はなんかさっぱりなかんじもあって。
 でも、YMOのファンだったので、スネークマンショーもピテカンも、どちらも桑原茂一というひとが主催者というかオーガナイザーというか、仕切っていたことは知っているんです。
 そして、この桑原茂一というひとが、80年代文化を見据える上ではキーマンになるわけですよね。たとえば、『東京大学「80年代地下文化論」講義』で、どうもジャック・タチの「ぼくの伯父さん」のサントラを買い占めたと思しき人物として登場する小西康陽は、渋谷系までの文化を全て知っている人物と桑原さんの名前を挙げるわけです。
 ちなみに、小西さん(と思われる人物)は他人に「ぼくの伯父さん」のサントラを聴かせないために買い占めた、とされています。意地が悪いですよね(笑)。まさに、排他と選別によって価値が生み出されていた瞬間があったのだろう、としか言いようが無いです。

――桑原さんがキーマンということなわけね。で、どういう人物なの?

 しっかりとは僕の立場では言えません。というのも、リアルタイムでスネークマンショーに体験できていないですし、クラブカルチャーに熟知しているわけではないので。
 とはいえ、桑原さんが何者であるのか、その一端を知る資料というのはいくつかあります。まず、桑原さんのブログ。これは……ブラックですよね。あの年齢でブラックユーモアをして、ブラック・アングルにもマッド・アマノにもならないっていうのは格好いいなあ。
 あと、四方宏明さんによる「桑原茂一さんインタヴュー〜Part 1 ウルフマン・ジャックに憧れて - [テクノポップ]All About」という秀逸なインタビューもあります。
 これらをもとに、桑原茂一なる人物が80年代直前から日本の文化を切り開こうとしていたことを掴みとることしかできないかもしれません。僕自身は、なんていうんですかね、桑原さんのブログは読んで面白いものと思うんですけど、何年か前にTBSラジオで放送した「スネークマンショー2」にはリアクションに困ったんですよね。空回りするブラックユーモアだなあ、と。

――うーん、なんだかちっとも話が見えてこないんだけれど。

 説明力がなくて、ごめん。
 なんていうのかなあ。結果的に見れば、日本に洋物文化をしっかり根付かせる契機を創ったことは間違いない方なんです。おそらく。
 藤原ヒロシというD.J.がいるクラブであり、日本語ラップの先駆者・高木完のいるクラブであり、ヨゼフ・ボイスやラジカル・ガジベリビンバ・システムの出演を許したクラブ、ピテカン・トロプスを用意した、というのは重要なんだろうと。
 要するに、桑原茂一がいなければピテカンは無かっだろう。そしてピテカンががなければ、藤原ヒロシをやたらとフューチャリングする「Smart」なんて雑誌は存在しなかったかもしれないし、藤原ヒロシにそっくりで「藤原ヒロシ2号」ということから自分をnigoと名乗ったデザイナーのブランド、ベイシング・エイプだってありえたかもわからないし、日本語ラップも今ほど存在感が無かったかもしれない、ってことです。
 これって、普通に考えて、「おおっ」と感じることだと思うんですよ。
――いや、意味はわかるんだけれど、惑星的にはファッション・ブランドの話をされても、読者に理解してもらいにくいというか。

 それはそうかもしれない。
 けれど、なんていうのかな、ピテカンが無かったら、90年代文化って言うのは確実に存在しないんです。それはもう、ピテカンの功罪なんでしょう。そのことを見通せないひとが多くて、僕は悲しいのですが。

――自己完結されても困るから訊くけれど、それはどういうこと?

 ザックリ説明すると、90年代というのは「レア」と「マスト」という単語だけで商品の売買が可能になった時代なんです。NIKEバスケットシューズを、誰もが必死になって買ったでしょう。
 それこそ、そのことは渋谷系小説・J文学の代名詞となった『インディヴィジュアル・プロジェクション』前後に、阿部和重さんが小説の題材にしているぐらい、90年代的な風景というか、文化そのものだったんです。
――たしかに、「SLAM DUNK」を読んで、バスケットシューズが流行ったとは思うけれど。

 流行ったし、NIKEAir Jordanは手に入りづらかったでしょ? 宇野さんは覚えてるかわからないけれど、Air Jordan追いはぎとかってラテ欄の真裏で、よく報道されてましたよ。
 あれほど……なんていうのかな、「レア」=希少性であるが故に求められてしまう商品というのは、もう見かけなくなりました。でも、90年代は何故だか、それはそれでありか、と受け止められていた(「おたく」がそう思っていたかというと思わないと思うんですけど)。
 大体、「レア」といっても大量生産品であるレディメイドバスケットシューズは何百・何千足と生産されているはずなんです。
 だったら、「レア」だとしても、それは特定の地域にとっての「レア」でしかなくなってしまう。インターネットでの通信が常態化した現在では、NIKEが企んだ「レア」さによって発生する価値というのはヤフオクなどによって、ギャップが埋められちゃうんです。どこかで品余りがあったら、その埋め合わせが行なわれるので、供給者の企んだ需給ギャップどおりに物事が動かなくなるんですね。
 けれども、この需給ギャップを絶え間なく作り出すことに成功していたのが、90年代のベイシング・エイプだし、当時の特定の同人作家です。
 僕の大学時代の友人は、加野瀬さんが編集長を務めていた雑誌でライターをやっていたはずで、アボガド・パワーズの記事を担当していたんだけれど、その彼の友人は同人作家で年収1000万円をコミケで稼いでは節税に追われていたと話していたそうです。これが90年末ぐらいの状況です。
 間もなくして、Windows98の普及と東京めたりっくの蛮行によって、ネットの常時接続・ヤフオクの盛況が可能となり、供給者側の需給ギャップをコントロールしづらくなるんです。しかし、それまでは90年代文化を覆った「レア」という価値観が存在したわけです。

――なるほど。では、「マスト」というのは、どういう文化というか価値観なの?

 それについては……眠った後で考えます。思いつき半分、というところもあるので、それではおやすみなさい。

――って、そこでまとめられてもなあ。じゃあ、次回に続くということでいいの。

 zZZzzZZZ....

――古典的ですね。スヌーピーでも余り見かけない表現ですよ。fairaさん!

東京大学「80年代地下文化論」講義

東京大学「80年代地下文化論」講義

宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』

wakusei2nd2006-07-29


聞き手(宇野)構成(faira)

――今回の書評は、本来予定していた大塚英志『初心者のための「文学」』ではなくて、劇作家・宮沢章夫の講義録になったんだけれど、どうして変更したの? 時間がないということで僕の聞き書きにもなったし、負担を負う側から質問したい。

 いや、それは大したことではなくて、余り最近小説を読んでいないから。あと、大塚さんが『初心者のための「文学」』で論じた大江健三郎の小説『芽むしり仔撃ち』について調査をしたら、レアな資料かもしれないものに突き当たったので、ちょっとネタ自体寝かして熟成したくなって。
 本当は、今回の稲葉振一郎さんインタビューに強く関わることだったので、大塚さんが現在展開している議論には一通り目を通したから、書評も書きやすいかなと思うんですよ。 でも、今回は、その大塚さんの『「おたく」の精神史』をサブテキストにした東大での講義をね、扱うべきかと思って。

――『「おたく」の精神史』をテキストにするような講義があったんだ?意外。

 うん。『東京大学「80年代地下文化論」講義』 に、宮沢章夫さんの行なった、件の講義がまとめられてる。この講義は東大は東大でも、駒場表象文化論の講座か何かだったみたい。
 あれだよね。表象文化論って言われても、ピンと来ないかもしれないけれど、ネットにはまっているひとにわかりやすく言うと、学生時代の東さんが所属していた学科です。
 たしか、東さんは表象文化論の学科ができて、2人目か3人目ぐらいに博士課程を修了したんのかな。エリートなんですよね。しかも、この学科自体が確か蓮実重彦学長時代にできたはずで、学長の持っていた80年代的な空気が残滓としてある学科だったと思うんですよね。

 えーと、話がずれてきちゃったな、ちょっと戻そうか。

――うん、それはお願い。

 これは僕より年上のひとたちは意識していたことだけれど、『「おたく」の精神史』で大塚さんは、「あなたにとっての80年代とはなんでしたか?」という同世代への質問を投げかけたわけですよ。
 だからこそ、稲葉振一郎さんは一読しての感想をホームページに書いたし、それは「おたく」と「正統的な学問」に対する「ニューアカデミズム」や「新人類」の軽佻浮薄さと経済的基盤の脆弱さの反省となったと思う。
 ところで、その軽佻浮薄さを表現していた側である「新人類」の精神史は余り語られていなかった。というか、語り落とされるようになった。
 かつては「おたく」と「新人類」の対立なんて、誰もが知っていたことだったと思うのに、今では逐一解説しながら理解してもらえないし、解説をしたところで、話を理解しだした「おたく」からサブカルにあれこれ言われる筋合いはない!」って唐突に激昂されだす始末。
 だから、誰が考えたってうざったい――激昂する「おたく」って誰にとっても面倒でしょ――ことにも巻き込まれそうな仕事を、誰が担うのか。そんな期待と不安があった。
 ポジティブに言い換えれば、「おたく」と「新人類」の断絶を、互いの精神史で埋めあうことで描ける80年代があって、「新人類」の側を書くべき立場にいる人は誰なのか、ってことなんだけれどね。
 そこに宮沢さんが手を挙げた。

――そんな誰がやっても面倒くさそうな仕事を(苦笑)

 ねー。
 大塚さんという希代の名編集者兼評論家が仕掛けたアングルに乗っかる度胸がないといけないんだもんね。
 で、この講義が面白いのが、宮沢さんがオタクカルチャーと「新人類」の文化(今だったらサブカルと呼ばれるもの)の大きな違いを、しっかり認識しているところ。
 その認識というのは、空間と経済に関する認識。オタクカルチャーと呼ばれるものは、コミケと一部イベントを除いて、ほとんど媒体そのものが文化だった。テレビアニメ(80年代であればOVA)、自販機のロリコンビニ本、同人誌、マンガ雑誌、そのほかもろもろ。媒体だから、お金さえ出せば誰でも手に入るものだった。
 対する「新人類」文化を、明言はしていないけれど宮沢さんは、希少性に基づく文化と看做している。特定の空間でしか享受しえないが故に希少性を持った文化があったことを、当事者として報告するように講義している、とも言える。

――特定の空間って何? わかりづらい。

 昭和天皇観覧試合で長嶋茂雄がホームランを打った映像って、いまでも繰り返し放送されるでしょ。あの場にいた人は、きっと、そのことを死ぬまで自慢する。そういう「場」というか「瞬間」かなあ。
 さっき話したけれど、オタクカルチャーというのは実は媒体(メディア)そのものだった。媒体ということは、すでにリアルタイムの再現だったり、元原稿のコピーだったりするわけだよね。
 ということは、オタクカルチャーは、空間や時間に「間」が空いていても楽しむことが可能にだった文化だってこと。同じ時期・同じ場所で楽しむ必要がないということだよね。
 これを極論すると、媒体のデータベースであるアマゾンみたいなもので、コミケが取って代わられる、という妄想じみた話になるのかな(笑)。

――コミケはなくならないんじゃない?

 うん、まあ。日本人いまだにお祭り好きだと思うしねー。
 
――そんな日本人全体がコミケに参加してるような(笑)

 してないけどさー、まあいいじゃない。だいたいで。

――微妙に大塚英志吉本隆明の対談集のタイトルみたいなことを口にして、ごまかさない(笑)fairaさんと話していると、いつも話題がスライドするから困る。

 ごめん。
 
――謝られても……話を戻すと、「特定の空間」が希少性を持つということは、誰もが手に入るわけじゃない「何か」を商品にしている「特定の空間」から価値が出てくる文化がある、という意味という理解で合ってる?

 合ってる!
 うん、そういうこと。

――でも、「手に入りづらい」というわけで価値を持つ文化なんて、本当に価値があるのか。そういう疑問はないの?

 もちろん、そういう「手に入りづらい」状況を作り出すために排他的になったりすることを、宮沢さんは気づいてるし、丁寧に説明している。「新人類」が「おたく」と断絶した理由を、「新人類」文化の排他性にあるとしてる。って言うけど、「おたく」だって、「初回限定版」とかに弱いんだから、似たり寄ったりのところもあるんだけれどね。
 とまれ。そういったことを、宮沢さんが説明するというのが、僕にとっては感慨深いんです。舞台を、チェルフィッチュ以外ほとんど観覧していない僕にとっては、宮沢さんはエッセイ集『牛への道』で笑いと80年代文化論を丁寧にまとめた文化人というイメージがあるんです。
 亀和田武さんの『1963年のルイジアナ・ママ』に収められた文章を、綺麗に整理して、80年代的なもののひとつとしてあった「昭和軽薄体」の急所を突いて、90年代以降のエッセイを開始したのは宮沢さんに他ならないわけですし。
 もっとも、まあ、そんなレッテルを宮沢さんは嫌がるとは思うんですけどね。

 でも、です。

 これもまた80年代を代表する人物である中島らもの代表作『今夜、すべてのバーで』で、サブカルチャーに憧れる少年のアイテムとして登場する演劇集団「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に所属していた宮沢章夫が、講義をしたということの意味って重いんです。
 というのも、演劇という文化の形式自体が、特定の時間・空間に観客を拘束するものだからです。言い換えれば、80年代に「新人類」を没入させるだけの根拠が「小劇場」ブームは持っていたかもしれない。
 図らずも、そのことを、当事者だった宮沢さんが話してしまっているように読める……しかも、「おたく」と「新人類」のミッシング・リンクに祀り上げられている観もある岡崎京子『東京ガールズ・ブラボー』で名前を登場させた伝説のライブハウス、ピテカン・トロプス・エレクトス(これも「特定の空間」だよね)の関係者として。これに僕の関心が尽きないんです。
 大塚さんは雑誌編集者としての側面もあるから、雑誌や媒体を通して80年代を語ったけれど、宮沢さんは自らも関わったスポットを中心に、文化を語る。歴史書に綴られた縦の記憶ではなくて、地図を広げるような横の記憶で文化を語る。これが面白くないわけないじゃないですか。

 だから、もう少し、勘と思い出と思いつきを話させてください。

――律儀なのか、好い加減なのか、押しが弱いのか強いのかわからない説得は止めてください。とりあえず話は聴きます。Webにアップするかは後で決めます。もう……。

(続く)