宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』

wakusei2nd2006-07-29


聞き手(宇野)構成(faira)

――今回の書評は、本来予定していた大塚英志『初心者のための「文学」』ではなくて、劇作家・宮沢章夫の講義録になったんだけれど、どうして変更したの? 時間がないということで僕の聞き書きにもなったし、負担を負う側から質問したい。

 いや、それは大したことではなくて、余り最近小説を読んでいないから。あと、大塚さんが『初心者のための「文学」』で論じた大江健三郎の小説『芽むしり仔撃ち』について調査をしたら、レアな資料かもしれないものに突き当たったので、ちょっとネタ自体寝かして熟成したくなって。
 本当は、今回の稲葉振一郎さんインタビューに強く関わることだったので、大塚さんが現在展開している議論には一通り目を通したから、書評も書きやすいかなと思うんですよ。 でも、今回は、その大塚さんの『「おたく」の精神史』をサブテキストにした東大での講義をね、扱うべきかと思って。

――『「おたく」の精神史』をテキストにするような講義があったんだ?意外。

 うん。『東京大学「80年代地下文化論」講義』 に、宮沢章夫さんの行なった、件の講義がまとめられてる。この講義は東大は東大でも、駒場表象文化論の講座か何かだったみたい。
 あれだよね。表象文化論って言われても、ピンと来ないかもしれないけれど、ネットにはまっているひとにわかりやすく言うと、学生時代の東さんが所属していた学科です。
 たしか、東さんは表象文化論の学科ができて、2人目か3人目ぐらいに博士課程を修了したんのかな。エリートなんですよね。しかも、この学科自体が確か蓮実重彦学長時代にできたはずで、学長の持っていた80年代的な空気が残滓としてある学科だったと思うんですよね。

 えーと、話がずれてきちゃったな、ちょっと戻そうか。

――うん、それはお願い。

 これは僕より年上のひとたちは意識していたことだけれど、『「おたく」の精神史』で大塚さんは、「あなたにとっての80年代とはなんでしたか?」という同世代への質問を投げかけたわけですよ。
 だからこそ、稲葉振一郎さんは一読しての感想をホームページに書いたし、それは「おたく」と「正統的な学問」に対する「ニューアカデミズム」や「新人類」の軽佻浮薄さと経済的基盤の脆弱さの反省となったと思う。
 ところで、その軽佻浮薄さを表現していた側である「新人類」の精神史は余り語られていなかった。というか、語り落とされるようになった。
 かつては「おたく」と「新人類」の対立なんて、誰もが知っていたことだったと思うのに、今では逐一解説しながら理解してもらえないし、解説をしたところで、話を理解しだした「おたく」からサブカルにあれこれ言われる筋合いはない!」って唐突に激昂されだす始末。
 だから、誰が考えたってうざったい――激昂する「おたく」って誰にとっても面倒でしょ――ことにも巻き込まれそうな仕事を、誰が担うのか。そんな期待と不安があった。
 ポジティブに言い換えれば、「おたく」と「新人類」の断絶を、互いの精神史で埋めあうことで描ける80年代があって、「新人類」の側を書くべき立場にいる人は誰なのか、ってことなんだけれどね。
 そこに宮沢さんが手を挙げた。

――そんな誰がやっても面倒くさそうな仕事を(苦笑)

 ねー。
 大塚さんという希代の名編集者兼評論家が仕掛けたアングルに乗っかる度胸がないといけないんだもんね。
 で、この講義が面白いのが、宮沢さんがオタクカルチャーと「新人類」の文化(今だったらサブカルと呼ばれるもの)の大きな違いを、しっかり認識しているところ。
 その認識というのは、空間と経済に関する認識。オタクカルチャーと呼ばれるものは、コミケと一部イベントを除いて、ほとんど媒体そのものが文化だった。テレビアニメ(80年代であればOVA)、自販機のロリコンビニ本、同人誌、マンガ雑誌、そのほかもろもろ。媒体だから、お金さえ出せば誰でも手に入るものだった。
 対する「新人類」文化を、明言はしていないけれど宮沢さんは、希少性に基づく文化と看做している。特定の空間でしか享受しえないが故に希少性を持った文化があったことを、当事者として報告するように講義している、とも言える。

――特定の空間って何? わかりづらい。

 昭和天皇観覧試合で長嶋茂雄がホームランを打った映像って、いまでも繰り返し放送されるでしょ。あの場にいた人は、きっと、そのことを死ぬまで自慢する。そういう「場」というか「瞬間」かなあ。
 さっき話したけれど、オタクカルチャーというのは実は媒体(メディア)そのものだった。媒体ということは、すでにリアルタイムの再現だったり、元原稿のコピーだったりするわけだよね。
 ということは、オタクカルチャーは、空間や時間に「間」が空いていても楽しむことが可能にだった文化だってこと。同じ時期・同じ場所で楽しむ必要がないということだよね。
 これを極論すると、媒体のデータベースであるアマゾンみたいなもので、コミケが取って代わられる、という妄想じみた話になるのかな(笑)。

――コミケはなくならないんじゃない?

 うん、まあ。日本人いまだにお祭り好きだと思うしねー。
 
――そんな日本人全体がコミケに参加してるような(笑)

 してないけどさー、まあいいじゃない。だいたいで。

――微妙に大塚英志吉本隆明の対談集のタイトルみたいなことを口にして、ごまかさない(笑)fairaさんと話していると、いつも話題がスライドするから困る。

 ごめん。
 
――謝られても……話を戻すと、「特定の空間」が希少性を持つということは、誰もが手に入るわけじゃない「何か」を商品にしている「特定の空間」から価値が出てくる文化がある、という意味という理解で合ってる?

 合ってる!
 うん、そういうこと。

――でも、「手に入りづらい」というわけで価値を持つ文化なんて、本当に価値があるのか。そういう疑問はないの?

 もちろん、そういう「手に入りづらい」状況を作り出すために排他的になったりすることを、宮沢さんは気づいてるし、丁寧に説明している。「新人類」が「おたく」と断絶した理由を、「新人類」文化の排他性にあるとしてる。って言うけど、「おたく」だって、「初回限定版」とかに弱いんだから、似たり寄ったりのところもあるんだけれどね。
 とまれ。そういったことを、宮沢さんが説明するというのが、僕にとっては感慨深いんです。舞台を、チェルフィッチュ以外ほとんど観覧していない僕にとっては、宮沢さんはエッセイ集『牛への道』で笑いと80年代文化論を丁寧にまとめた文化人というイメージがあるんです。
 亀和田武さんの『1963年のルイジアナ・ママ』に収められた文章を、綺麗に整理して、80年代的なもののひとつとしてあった「昭和軽薄体」の急所を突いて、90年代以降のエッセイを開始したのは宮沢さんに他ならないわけですし。
 もっとも、まあ、そんなレッテルを宮沢さんは嫌がるとは思うんですけどね。

 でも、です。

 これもまた80年代を代表する人物である中島らもの代表作『今夜、すべてのバーで』で、サブカルチャーに憧れる少年のアイテムとして登場する演劇集団「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に所属していた宮沢章夫が、講義をしたということの意味って重いんです。
 というのも、演劇という文化の形式自体が、特定の時間・空間に観客を拘束するものだからです。言い換えれば、80年代に「新人類」を没入させるだけの根拠が「小劇場」ブームは持っていたかもしれない。
 図らずも、そのことを、当事者だった宮沢さんが話してしまっているように読める……しかも、「おたく」と「新人類」のミッシング・リンクに祀り上げられている観もある岡崎京子『東京ガールズ・ブラボー』で名前を登場させた伝説のライブハウス、ピテカン・トロプス・エレクトス(これも「特定の空間」だよね)の関係者として。これに僕の関心が尽きないんです。
 大塚さんは雑誌編集者としての側面もあるから、雑誌や媒体を通して80年代を語ったけれど、宮沢さんは自らも関わったスポットを中心に、文化を語る。歴史書に綴られた縦の記憶ではなくて、地図を広げるような横の記憶で文化を語る。これが面白くないわけないじゃないですか。

 だから、もう少し、勘と思い出と思いつきを話させてください。

――律儀なのか、好い加減なのか、押しが弱いのか強いのかわからない説得は止めてください。とりあえず話は聴きます。Webにアップするかは後で決めます。もう……。

(続く)